時代を越え貫く男性同士の純愛を描いた台湾映画『君の心に刻んだ名前』 監督インタビュー


リウ・クァンフイ(柳廣輝)監督

「第15回大阪アジアン映画祭」コンペティション部門に入選し、3月14日(土)に世界初上映された台湾映画『君の心に刻んだ名前/Your Name Engraved Herein/刻在你心底的名字』。本作で主人公のアハン(阿漢)の30年後を演じたレオン・ダイ(戴立忍)さんが見事「薬師真珠賞」を受賞しています。

リウ・クァンフイ(柳廣輝)監督にインタビューし、本作誕生の秘話や1980年代後半の台湾の状況、主演2人のキャスティングの裏話などを聞きました。

■ストーリー
「戒厳令」が解除された1987年にカトリック系の学校で出会った男子高生アハン(阿漢)とバーディ(柏德)。本作は2人の純愛とその行方を、当時と今、そして台湾とカナダと、時代や国境を越えドラマチックに描くラブストーリーです。

■リウ監督の実体験に着想を得て生まれた本作
本作が生まれたきっかけを尋ねると、リウ監督は「映画にカナダ人の神父が登場するんですが、私が通っていたカトリック系の男子校にいた実在の人物がモデルなんです。実は私が高校生の時、同級生の男性を好きになりました。それで映画と同じように神父に相談したんです。でも、彼は全然相手にしてくれず『ダメだ』と。恐らく宗教上の理由だったんだろうと思います」と当時を振り返りながら、本作の内容がなんと監督の実体験に着想を得ていることを明かしました。現在は毎年各地でプライドパレードが盛大に開催され、2019年にはアジアで初めて同性婚が合法化された台湾。しかし、1980年代後半の台湾は今と全く異なる社会でした。

「約10年前、当時カナダに住んでいた高校の同級生で私と同じくゲイの友人から突然電話がありました。興奮した声で『高校の神父様と偶然に会ったよ!』と。神父様は定年退職後にカナダに帰国していました。それで『どこで会ったんだ?』と聞いたら、なんとゲイバーだったんです」と笑顔で語りました。

「高校生の時に神父様もゲイだと分かっていたら、もっといろんな話ができたのに」と思った監督は何とか神父と連絡をとることができました。しかし、ぜひ彼に詳しく話を聞きたいと伝えると、その後は連絡が来なくなってしまったそうです。「あの時、神父様は70歳代でした。彼にとって自分の体験を元教え子に語ることは難しかったのでしょう。その後、神父様が亡くなったという話を聞いた時に、この話を映画にしようと心を決めたんです」と本作誕生の秘話を明かしました。


出典:公式Facebookページ

■実在の神父が結ぶ台湾とカナダ・モントリオールの不思議な縁
リウ監督は「この実在した神父様がカナダのケベック州の都市・モントリオール出身だったので、映画に登場する神父もモントリオール出身の設定にしました。でも調べるうちに台湾とモントリオールには不思議なつながりがあることが判明したんです」と語り始めます。

「かつてケベック州ではカトリック教会が絶大な権力を持ち、経済、政治、教育など全てがそのコントロール下にありました。もちろん同性愛は認められておらず、神父様は台湾に渡って学校で教えることを選択します」。しかし皮肉なことに神父がモントリオールを去った後1960年代にケベック州で「『静かな革命(Quiet Revolution)』という近代化運動が起き、社会が自由になっていきました。しかしその時、神父様はモントリオールではなく台湾にいた。彼はカトリック教会により自由が制限されていたモントリオールから、戒厳令により自由が制限されていた台湾に来ていたということですね」と複雑な表情で神父の人生を語りました。

そして、そんな生き方をした神父に「1987年に台湾で戒厳令が解かれた直後、教え子の一人が自分と同じように『同性が好きだ』と告白してくるんです」と自身の取った行動を神父の立場で考えるリウ監督。「神父様はとても複雑な心境だった思います。きっと『同性愛者として生きるのは大変だ。できるなら、その生き方を選ばせたくない』と考えて、私の思いを受け入れずに諦めさせようとしたんだと思います」と神父の気持ちに思いを寄せました。そして、リウ監督が慕った神父が生きた台湾とモントリオールは「『戒厳令の終結』と『静かな革命』という社会変革を経て人びとが自由を獲得している点で、不思議な縁があると感じています」としみじみと述べました。

なお、カナダでは1969年に同性間の性行為が非犯罪化、1977年にはモントリオールのあるケベック州でカナダ全州の中で最初に「性的指向による差別」が禁止されています。その後、2003年6月にオンタリオ州で初めて同性婚が認められ、ついに2005年7月に「市民婚姻法(Civil Marriage Act)」を制定することにより、カナダ全国で同性婚の合法化が実現しました。同性婚を全国レベルで認めたのは、オランダ(2001年4月)、ベルギー(2003年6月)、スペイン(2005年7月)に続き、世界で4か国目でした。

現在のカナダは多様性を尊重し、セクシャル・マイノリティが暮らしやすい国だと言われています。カナダの多くの街では毎年プライドパレードが盛大に行なわれ、1970年6月に始まったトロントのパレードは今では100万人規模に成長しました。そしてモントリオールでもパレードを含む「プライドフェスティバル」が毎年10日間前後開催されています。

台湾もカナダも社会が大きく変わり、セクシャル・マイノリティを取り巻く環境にも大きな前進が見られました。本作では約30年後のアハンやバーディらが登場します。高校卒業後30年経ってから初めてアハンが同窓会に参加するなど、セクシャル・マイノリティに対する台湾社会の変化がアハンとバーディ、そして2人の関係にポジティブな影響を与えていることも丁寧に描かれています。


出典:公式Facebookページ

■今の台湾と大きく異なる当時の同性愛排斥
これまで映画やドラマで描かれてきた多くのゲイの人物像と異なり、激しく気持ちをぶつけるなどアハンとバーディの豊かな感情表現が印象的な本作ですが、当時の時代背景が要因にあるとリウ監督は言います。「戒厳令時代(1949~1987年)は監視する人が周囲に大勢いました。家族、学校、そしてカトリックの学校ですから神様と、神様を代弁している神父様も。いろいろな圧力やタブーがありました」と当時の状況を振り返ります。

戒厳令が解除され、政治活動や表現の自由が認められていきますが、「同性愛は依然として認められませんでした」と語る監督。主人公2人が時に激しく感情を表出することについて、「『なぜ好きな人がいるのに、それがダメなのか。それは罪なのか。好きになってはいけないのか。自由な社会になったのではないのか』。当時の社会的圧力に対する怒りを観客に伝えたかったんです」とリウ監督は演出の意図を明かしました。

そんな当時の状況を示すため、リウ監督は劇中に台湾で著名な人物も登場させています。その人物とはチー・ジアウェイ(祁家威)さん。台湾における同性婚運動のパイオニアと呼ばれる方です。「ご本人の了解を得て登場させました。チーさんは、戒厳令が解かれても同性愛が認められなかったことに対し、当時実際に抗議した方です。派手な衣装を着て街頭に一人で立ち『同性愛は病気じゃない(同性恋不是病)』と訴えました。でも当時は全く認められませんでした。自由になったはずなのに同性愛は認められず、警察官に連れて行かれる。私はとんでもないことだと思いました」と当時の心境を打ち明けました。

※チー・ジアウェイ(祁家威)さんについて
参考:明治大学法学部教授 鈴木賢「第6回:台湾婚姻平等化運動のパイオニア——祁家威、闘いの軌跡」(特定非営利活動法人 東京レインボープライド)

第6回:台湾婚姻平等化運動のパイオニア——祁家威、闘いの軌跡


出典:公式Facebookページ

■主演2人をキャスティングした理由
主役を演じた2人について、「まずアハンを演じたエドワード・チェン(陳昊森)さんですが、経験豊富な俳優ではありませんが、すごいイケメン俳優だとの推薦もあり、会ってみることにしたんです」と語り始めたリウ監督。「会った時、彼は『家族に同性愛者がいる』と私たちに打ち明けました。最初はすごく嫌で、ケンカもしたそうですが、家族ですから『なぜ同性愛者になったのか』などいろいろ考えたと。最終的には家族として受け入れたとのことでしたが、私はこの話を聞いた時、これは大変貴重な経験で役作りに生かせると思いました」と明かしました。さらに「目に力があると感じました。私たちが嫌うすれた感じが彼の目には全くありませんでした」と目が重要なポイントだったとも述べました。

バーディを演じたツェン・ジンホア(曾敬驊)さんについては、「彼は台湾で大ヒットした映画『返校』に主演していましたが、カメラテスト後の雑談時、目も合わせられないほどシャイで驚きました。『ちゃんと演じられるのか』と心配するほどでした」と彼の第一印象を明かしました。しかし「脚本の一部を渡して演じてもらうと、印象ががらりと変わったんです」と言う監督。「彼は思慮深くて、よく考えて答えるタイプ。一方で、外見は非常に反逆的な魅力があります。この落差もバーディという役にピッタリだったので、彼に決めました」と明かしました。

さらに「この映画はアハンの視点で描かれています。バーディに好きだと言えず、神父様のところに行っても受け入れてもらえない。こちらは比較的分かりやすい」と言う監督は、バーディにもモデルとなった実在の人物がいると明かしたうえで「バーディのほうが実はアハンよりもずっと思慮深く、葛藤を抱えているんです」と続けます。


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「劇中でバーディが同級生に殴られて追い詰められ、最後には2階から飛び降りて逃げるシーンがあります。その同級生たちはアハンの親友たちです。なぜバーディが殴られたのか。それは彼らが『同性愛者のバーディがアハンと一緒にいたら、ホモがうつる。アハンも同性愛者になってしまって大切な親友を失ってしまう』と考えていたからなんです」と述べるリウ監督。

「バーディはアハンより情感の部分でさらに深い葛藤を抱えています。実はバーディは常にアハンを守ろうとしているんです。バーディは自分が同性を好きなのかもはっきり分かっていないし、自分の感情に向き合う勇気もありません。でも、もしアハンの気持ちを受け入れて彼と付き合ったら、結果的に彼を傷つけてしまうと考えます。それで、彼は自分のアハンに対する感情はどうあれ、アハンを傷つけるぐらいなら自分の気持ちを諦めようとした。アハンに女の子を紹介することまでします。バーディは結果的にアハンの気持ちを拒んでしまう形になっていますが、実はそれはアハンを守りたいという強いバーディの気持ちによるんです」とリウ監督はバーディが胸に秘める苦悩について明かしました。


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■アハンが家でバーディに問うシーンが好きだ
印象に残る撮影時のエピソードについて、リウ監督は「この作品はシャワー室など主演2人の裸のシーンが多いんですが、主演の2人はNGを出さないように前を隠すため念入りに準備していました。すごく時間をかけていましたね」と笑いながら撮影の裏話を明かしました。

続けてリウ監督に好きなシーンを聞くと、迷わず「バーディがアハンと大ゲンカした後にアハンの家にやって来るシーンですね」と答えました。「家のドアのところでアハンが真剣な眼差しでバーディに『僕は好きな人の名前が言える。言う勇気がある。お前は言えるか?(我敢說出我喜歡誰。你敢不敢?)』と問い詰めます。アハンは母親に『実は僕が好きな人は横にいる男のバーディだ。彼との大ゲンカの原因は彼の彼女じゃないんだ』と言おうとします。しかしバーディはアハンに言わせず、そのまま走り去る。これは家族へのカミングアウトを描いているシーンです。私自身も経験がありますが、セクシャル・マイノリティ全員にとって大切なこと。私はこのシーンが特に気に入っています」と語りました。


出典:公式Facebookページ

最後にリウ監督に日本のセクシュアル・マイノリティへのメッセージをいただきました。

「私には日本人のセクシャル・マイノリティの友人が大勢いるので、日本の家庭や職場で当事者が自分らしく生きるのが難しいと知っています。ゲイの人の中には夜にゲイバーに行き、そこでやっと本当の自分を取り戻せると言う人も多いと聞きました。私は日本のセクシャル・マイノリティの方々に本作を通して勇気を持ってもらえたらと思います。私は彼らに堂々と恋愛をし、自分らしく生きてほしい。そして日本の職場や家庭で理解が深まり、日本が当事者にとってより生きやすい社会なることを心から願っています」。


出典:公式Facebookページ

台湾映画『君の心に刻んだ名前』は、「2020金馬ファンタスティック映画祭(金馬奇幻影展)」のオープニング作品に選出されていました。残念ながら4月に開催予定だった同映画祭は新型コロナウイルスの影響で中止になりましたが、6月には台湾で一般公開される予定となっています。

■大阪アジアン映画祭公式サイト(台湾映画『君の心に刻んだ名前』ページ)
http://www.oaff.jp/2020/ja/program/c15.html

■映画『君の心に刻んだ名前』公式Facebookページ

(取材・文:Zac Oda)